2万5千年のときを越えて 中臣遺跡 〜日本の歴史と山科〜
洛東最大の集落遺跡
京都市山科区にある、洛東最大の集落遺跡「中臣遺跡」。
山科川と旧安祥寺川が交わる場所から北側の栗栖野丘陵一帯に広がり、現在はその中央を新十条通りが横断しています。
約2万5千年前の旧石器時代後期から室町時代後半という長期間にわたる貴重な遺跡です。
始まりは1969(昭和44)年。地元の高校生によって弥生時代のものと思われる須恵器土器の破片が発見されたことから発掘調査がスタートしました。
以降、旧石器時代後期のナイフ形石器を始め、縄文時代後期の土壙こう、
弥生時代中期から古墳時代後期におよぶ竪穴式住居、掘立柱建物跡、平安時代の井戸跡などが次々と発見され、古代から中世にかけて断続的にこの地で人々の生活が営まれていたことが確認されています。
中臣鎌足ゆかりの地
大化改新で知られる中臣鎌足が、山科に「陶原の館」と呼ばれる邸宅を構えていたといわれていることはご存じですか?
山科は中臣氏(後の藤原氏)の本拠地であり、大津宮や平安京の隣接地として歴史的に重要な役割を果たした地域です。
鎌足の出生は奈良県の橿原ですが、没したのは山科という説もあります。
日本の歴史を大きく動かした人物ゆかりの場所で、古代ロマンに想いをめぐらせるのもすてきですね。
MAP
公開日時 : 2022年01月28日 (金)