大好きなバレーボールを楽しく、末永く。
丸太町リハビリテーションクリニック リハビリテーション部 理学療法士
山本 ちさと(やまもと ちさと)
経歴
京都市出身。小学生からバレーボールを始める。京都橘高等学校バレーボール部入部。京都橘大学 健康科学部 理学療法学科を卒業し、2016(平成28)年、洛和会ヘルスケアシステム 丸太町リハビリテーションクリニックに入職。洛和会音羽病院のバレーボールチームに所属し、2019年の京都府知事杯争奪第39回病院対抗女子バレーボール大会決勝大会で優勝。最優秀選手に選出される。
実績
第62回全日本バレーボール高等学校選手権大会出場(2009年)
第63回全日本バレーボール高等学校選手権大会出場(2011年)
第64回全日本バレーボール高等学校選手権大会出場(2012年)
平成21年度全国高等学校総合体育大会出場(2009年)
平成22年度全国高等学校総合体育大会出場(2010年)
平成23年度全国高等学校総合体育大会出場(2011年)
第64回国民体育大会出場(2009年)
第59回全日本バレーボール大学女子選手権大会3位(2012年)
※2020.9.1時点
「球技嫌いの私」とバレーボールの出会い
小学3年生のとき、当時から背が高く、新しく担任になった先生に誘われてバレーボールを始めました。その先生はコーチとして非常に強いチームを作ると評判で、練習量も多かったと思います。球技が嫌いでまったくダメな私が、上達していくことで楽しさを感じ、バレーボールだけは今でも続けています。
憧れの高校に入るために猛練習
中学生になっても部活でバレーボールを続けました。自分自身で努力し、頑張った時期でした。全国的に有名な京都橘高等学校のスピーディーなバレーボールに憧れ、「どうしても橘高校でプレーしたい!」という思いがあったからです。部活の練習や試合で気付いた自分の弱点を分析し、それを克服するメニューを自分で考えて、家でもひたすら練習しました。父親が張ってくれた自宅ガレージのネットに向かって毎日「打ち込み」をしていたのを覚えています。
強豪校で学んだ「人との接し方と礼儀」
念願かなって京都橘高等学校のバレーボール部に入ることができました。強豪校だけあって練習はハードで、先生や先輩方など目上の人に対する礼儀などにも非常に厳しい環境でした。全国から有望な選手が集まる学校なので、技術的な面で得るものはもちろん多かったのですが、同時にハードな練習に耐えたことによる精神的な成長と、先生や先輩から指導を受けた「人との接し方と礼儀」は、社会人になった今でも大変役立っています。
トレーナーとしてチームに貢献
京都橘大学に進学してから、選手としてコートに立ったのは2回生までです。大学では、第一期生となる理学療法学科に通っていて、学んだことをチームのために生かしたいという思いと、実習の勉強を兼ねてトレーナーとして活動しました。チームメイトのケガ防止に関する取り組みや、体調管理などに携わりましたが、バレーボールのチームで実習ができることは珍しく、大変幸運でした。
好きなことをいつまでも楽しみたい
大学を卒業し、当会に入職してから1年以上、バレーボールから遠ざかっていたのですが、洛和会音羽病院のチームに入って、またプレーを始めました。そして2019年の京都府知事杯争奪第39回病院対抗女子バレーボール大会決勝大会で優勝し、最優秀選手にも選んでいただきました。ケガや病気がないからこそ、こうして大好きなバレーボールを今でも楽しむことができています。今後のプレーヤーとしての目標も「好きなバレーを末永く楽しむ」ことですね。
理学療法士として学生アスリートに寄り添いたい
現在は理学療法士として、ケガや病気で運動器障害のある方のリハビリテーションをサポートしています。
今後の目標は、ケガの予防という面でアスリートの力になることです。私自身は幸いにも大きなケガに悩まされることはなかったのですが、特に中高生や大学生のアスリートが、回復に時間が掛かる大きなケガをしてしまうと、そのまま競技に取り組む時間を削ってしまうことになります。
例えば「高校3年間の間に全国大会に行きたい!」と真剣に競技に取り組んでいる高校生アスリートには、目標達成までの期間は3年間しかありません。そんなアスリートの大切な競技生活をケガで無駄にすることなく、より良く充実したものとするために、理学療法士ができる最大限のサポートに取り組んでいきたいです。
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