災害支援ナースの活躍

災害支援ナースの活躍

災害支援ナースの活躍

1月1日の令和6年能登半島地震発生を受け、当会は、被災地へDMAT3隊を派遣、災害支援ナース4人を派遣、恵寿総合病院(石川県七尾市)への支援物資輸送や看護師応援派遣など、さまざまな支援を実施してきました。中でも、食料など自身に必要なものをすべて準備して持ち込み、自己完結型で支援活動をする災害支援ナースは、インフラが復旧されていない過酷な状況の中、他院の看護師とともにチームを組んで被災地支援を行ってきました。当会から出動した4人の災害支援ナースの活動内容や被災者への思いなどを紹介します。

災害支援ナースとは
被災地等に派遣され、地域住民の健康維持・確保に必要な看護を提供するとともに、看護職員の心身の負担を軽減し支える活動を行う、厚生労働省医政局が実施する災害支援ナース養成研修を修了し厚生労働省医政局に登録された看護師のこと。

 


洛和会音羽病院 看護部 救命救急センター・京都ER
副主任 長谷川 智子(はせがわ ともこ)
派遣期間:2024年1月9日~13日
派遣先:市立輪島病院

災害支援ナースとして初めての派遣

学生の頃から災害看護に興味があり、大学で救急救命士の資格取得、看護師3年目でDMATに登録、4年目に災害支援ナースとして登録していました。地震発生後、1月5日に京都府から災害支援ナースの派遣要請が届き、師長からお声掛けいただきました。“行きます”と返答したものの内心は不安でいっぱい。情報が少なく、電気や水道の復旧も不明、余震も続いているという状況で気持ちをどう整えようかと、正直、気が気でない感じでした。そんな時、当時所属していた 看護部 ICU/CCUの皆さんが、業務調整に快く応じてくれただけでなく、忙しい中ポスターを作って「気を付けて行ってきてね!」と送り出してくれて、本当に心強かったです。また、出発時「しっかり支援活動をしてこなければ!」と気負っていましたが、看護部長から「活動も大事だけれど、安全第一で無事に帰ってきてください」と言って見送っていただき、少しリラックスできました。
皆さんに背中を押してもらい、「今まで学んできたことを生かして、私に今できることをしたい」という思いで、被災地へ向かうことができました。

洛和会音羽病院 看護部 ICU/CCUのスタッフ

現地では…

発災から1週間ということで、派遣先の輪島市立病院周辺は、倒壊している家屋、傾いた電柱、土砂崩れが散見される状態。院内は電気は使えるものの、断水で水は使用できないため、トイレはポータブルトイレのようなものを使用していました。主に病棟業務(おむつ交換や食事介助など)、外来業務(採血・バイタル測定・点滴など)を3交代制で担当。食料は備蓄されたものを使い、限りある資源と人員を無駄無く効率よく大切に使うため、現地のスタッフと協力しながら業務にあたりました。

備蓄の食料を使って食事の準備

フェーズに合った支援を

現地では、家に帰れない職員さんたちで業務を分担して回しているような状況でした。今どうしておられるかとても気がかりです。私にとっては4~5日間だけでしたが、現地の方にとっては今も続いています。現地の方々が必要としている支援を見極め、フェーズに合った支援を続けていくことが大切と感じました。今後も、洛和会としても個人としても支援に関わり続けたいと思っています。

洛和会音羽病院 看護部 5A病棟
師長 倉本 真智子(くらもと まちこ)
派遣期間:2024年1月24日~27日
派遣先:輪島市立大屋公民館(避難所)

被災者の声を聴くこと

私が派遣された時期はある程度環境が整いだした頃でしたので、避難所に到着後まず行ったのは、被災者とのコミュニケーションでした。血圧や健康状態を確認しながらいろいろな話をお聞きしました。避難所にいる方たちはみんなが同じ境遇にあり、つらい」という気持ちを吐き出せずにおられました。ですので、まず私がやるべきことは「想いを傾聴すること」だと思いました。中でも多かったのは、余震への恐怖心や慣れない共同生活へのストレスそして、自分の家族や知人を亡くした、救助場面を見たなどによる心的ストレスでした。

被災者に癒やしを

被災者の声を聞き、他の災害支援ナースと「今必要な支援は何か、看護師としてできる事は何か」を考えました。そこで導き出した答えは「癒やし」でした。被災者は日中体を動かすことが少ない状態でしたので、まずは立ち上がってもらうこと、そして足湯をして癒やされてもらおうと考えました。断水が続く中、貴重な生活用水を使うことになるので、公民館の担当者に相談し、私たちの思いを話しました。すると皆さん賛成してくださり、必要な資材をかき集めてくださいました。この時、“看護がみんなの気持ちを動かした”と感じました。

足湯と同時にハンドマッサージも施しました

「足を温めるのはこんなに気持ちがいいのか」と皆さん笑顔になり、中には涙を流して喜んでくださる方もおられました。

今回の経験を通して、災害時の地域コミュニティの重要性を学びました。そして、私がこうして災害支援ナースとして活動できるのは、職場のスタッフ、家族のサポートのお陰です。みんなに感謝しながら、今回の経験を生かして業務にあたりたいと思います。

 

 

洛和会丸太町病院 看護部 救急/HCU
副主任 細田 彩花(ほそだ あやか)
派遣期間:2024年1月27日~30日
派遣先:輪島市立大屋公民館(避難所)

多様なニーズに応じた支援

現地では、血圧測定や服薬管理、口腔ケア、入浴介助などの看護支援から食事準備や段ボールベッド製作、手洗い水・トイレ水補充などの生活支援、被災者の自宅への同行など、多岐にわたる支援を実施しました。初めは被災者の方に話し掛けても「大丈夫、元気だよ」と言われることが多かったのですが、一緒にご飯を食べたり、話したり生活をともにするうちに、「あまり眠れていない」「家族がバラバラになって寂しい」と正直な思いを話してくださるようになり、よりニーズに沿った支援ができるようになりました

手洗い・手指消毒の方法を指導

日々鍛えた対応力を被災地で発揮

看護師になって現在13年目。“断らない救急”を掲げる洛和会丸太町病院の救急/HCUに所属し、常に急変に備え、臨機応変な対応が必要とされる現場で経験を積んできたことが、被災地での活動にとても役立ったと感じています。また、支援に向かう前は「被災者の助けになりたい」と思っていましたが、逆に「現地の方の明るさに救われた」ことも多くありました。当部署の同僚をはじめ、洛和会看護部の皆さんや家族などたくさんの方々の協力のおかげで、現地での支援活動を実践できたことに感謝しています。今回の貴重な経験を当院での業務にも生かしていきたいです。

洛和会丸太町病院 看護部 救急・HCU
副主任 宮川 知子(みやかわ ともこ)
派遣期間:2024年2月5日~8日
派遣先:いしかわ総合スポーツセンター(金沢市)

避難所の円滑な運営を目指した支援

私が支援に行ったいしかわ総合スポーツセンターは、1.5次避難所と言われる場所で、2次避難所(ホテルや旅館など)へ移行できるまでの間に生活される場所でした。金沢市内ということもあり、ライフラインは、ほぼ問題ない状態でした。ここでは、支援の必要度に応じてエリアが3つに分かれており、私は介護度が高い方が生活されている場所で活動していました。主な役割は、DMAT指揮の下、施設内で被災者のケアをされている介護職の方への活動内容の引継ぎと被災者の方の情報書類の整理でした。この場所は在宅生活を想定した中で過ごされており、ご自身でできることはしてもらい、できないことは介護職の方がサポートするということが前提でした。DMATや災害支援ナースは派遣期間が決まっており、ずっと支援ができるわけではないので、医療者がいなくなっても現在の生活状態を維持できるようにすることが私の重要な役目でした。

比較的介護度の高い方が生活されているエリア

看護だけが支援じゃない

普段病院で行う業務と違い、積極的な看護ができないなかで、「もっと看護がしたい」と思うこともありましたが、活動する中で「自分はここにいる人たちを陰で支える存在なんだ」と少しずつ気持ちを切り替えることができ、避難所としてスムーズな運営ができることを目指した支援を行いました。引き継ぎ業務を行いながらも、被災者の方の健康チェックをしながらお話しをする機会もあり、話しを聞き、手を握ることだけでも助けになれていると感じ、「手と目で看て護る」看護の原点に立ち返ることができました。

ありがとうの言葉を大切に

今回の経験を通して、その方の最善・最良を考える意識が強くなりました。新型コロナウイルスが終息していない中、私を被災地へ送り出してくれた周りのスタッフに感謝しながら、日々感謝の気持ちを言葉にして伝えられる人でありたいと思います。

 

 

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公開日時 : 2024年06月28日 (金)

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